『ノー・フォールト』岡井崇著
今、医療関係者の間で読まれ、語られている本に『ノー・フォールト』がある。若き産婦人科医の卵、員外助手である柊奈智が遭遇した医療訴訟を柱に、患者にひたむきに向かう医師の姿を描いている。
http://www.ohmynews.co.jp/news/20080417/23587
私自身は、村上龍氏が配信するJMMのメールマガジンで、この本を知った。現在の医療を考える上で参考になると、氏が推薦する2冊の本の小説の方を読んだのである。ちなみに、推薦のもう1冊は朝日新聞社の『医療崩壊』である。
『ノー・フォールト』カバー(撮影:早川書房)
この本の題名『ノー・フォールト』は、日本語では「無過失」と言う意味である。どんなに手を尽くしても救えない命がある。リスクをどこまで予見できたか、取った処置は誤っていなかったか、誠実な医師であればあるほど悩むであろう。それでも最善を尽くしたと自身を納得させなければ、次の患者に対することはできない。主人公・奈智は、誠実で信望も厚い医師だが、医療事故により起訴されたことで、より安全な個人病院勤務を選ぶようになる。
それまでの大学病院での勤務は、睡眠さえ満足に取れない、信じられないほどの超過勤務であり、先日、トヨタの裁判で問題になった、自主的な事例研究学習会もある。1人の医師が、一人前になっていくまでには、これほどの経験が必要なのかと思うと、医師の存在そのものに頭が下がる思いであった。
医学用語や医師の資格など、難しい言葉や仕組みはあるものの、一気に読ませるのは、主人公・奈智が、医師と言う職業に誇りをもち、懸命に生きる姿に共感を覚えるからである。
多忙さは、同業の医師と結婚した家庭を破綻させる。子どもを引き取っても、触れ合う時間はほとんど無い。そうした働く女性の困難さも描かれるが、その環境にあっても笑顔で患者に声をかけていく、医師という仕事に敬意を表すのみである。おそらく、医療現場で、今活躍しているお母さん医師も、この主人公同様に、家庭人としての苦悩を抱えておられることだろう。
医療訴訟では、突然、乳呑児の母親をなくした家族は、弁護士のいうまま裁判を起こすが、その対象が、病院ではなく担当医になっていることに驚き、本意でないことを伝える。医師と患者家族のつながりが、失いかけた自信を取り戻させ、大学病院勤務への復帰を可能にさせる。物語自体は、作者のお人柄もあるのだろう、離婚した2人を復縁させたり、若き医師へのメッセージを付加したり、ハッピーエンドの労作となっている。
この本を書かれたのは、昭和大学の産婦人科学講座主任教授で医学博士岡井崇さんである。長年、周産期、新生児等の関係医療に携わってこられた医師が伝える現場の状況は、臨場感を持つ。この本の趣旨の大半は、若い次の時代を背負う医師たちへの応援歌となっている。書名の『ノー・フォールト』と同じく、「無過失保障制度」の導入を訴えることであろう。
医療事故が起こった場合、病院や医師に過失が無くとも、患者や遺族に保障を与える、医師、患者双方にとっての良い制度の導入を願ったものであり、先日も政府がその実現に向かって話し合いを進めたことが報道されていた。
昼夜を問わず、患者のために尽力した医師が訴えられる悲劇を、少しでも失くすことができればとの思いを医療従事者がもつのは当然のことであると思う。
医療技術の高度化で、以前なら死を覚悟して当然の病気でも、結果によって感謝から憎しみに変わってしまう悲劇は想像に難くない。そうした責任の重い職業であることを考えても、医師がおかれている状況の困難さは推して量るべきである。
医療事故で訴えられるリスクが、医師に診療をためらわせているという現状が、近年の医療崩壊と呼ばれるものの1つの理由なら、『ノー・フォールト』が提起する制度の導入に前向きであってほしい。
そして医療事故を起こした医師をつるし上げるような報道や、復帰の医師を狙うストーカー的な取材はやめるべきではないかと思う。少子高齢化を迎えて、後手後手の医療改革が不安だけを煽っている。医療関係者だけではなく是非読んでおきたい本である。
早川書房
436ページ
定価1680円(税込み)
2007年4月発行
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